いいこと思いついちゃった。
いいこと思いついちゃった。ので、聞いてほしい。
じつはわたしの親は所謂毒親です。
「またまたぁ~。時流に乗りたいからって、話盛ってぇ~」と言われるかたもあるかもしれない。
じゃぁいい。毒親ではない、ことにしよう。
その上で、わが実家の惨状を見てほしい(さずがにここには書けないけどね)。
わが実家の情況を見たひと誰もがわたしに同情してくれる筈である、「さっきは疑って悪かった、ごめんなさいね。紛れもなく毒親ですね、あなたの親御さんは」となると思う。
ちなみに、「じぶんの親が毒親だ」と確信したのは、恥ずかしながら、つい最近である。子をもってからかもしれない。
「虐待を受けたひとは、そのひともまた虐待を繰り返す」みたな所謂「負の連鎖」というおぞましいことばがある。
わたしは身体的虐待を受けたことはない(と思う)。ご飯もお腹いっぱい食べさせてもらえたし、あたまがわるいのに、短大まで学費を出してもらった、親には。だから感謝もしている。が、これはまた別の話である。
だから、「じぶんの親が毒親だ」と遅まきながら気づいたとき、『負の連鎖』というのが頭をよぎった。おぞましい。
すごく厭な気持ちがした。完全無垢の赤ん坊が産まれ、きらきらときらめく日常に暗雲立ち込める感じ、である。クソが。
立派な親御さん、子ども(孫)思いの親御さん、きちんとした(さまざまな面で)親御さんをお持ちのかた。クッソ羨ましい。
しかし、鬱鬱としていてもはじまらぬ。わたしもひとの親、である。
そして、
いいこと思いついちゃった。
あるとき、「ふっ」とおもったのである。
「もしかして。じぶんは、あのひとらがやったことと、真逆のことを子にしてあげればいいんじゃね?」と。
「そうしたら、毒親にならずにすむのじゃないか?」などと無い脳味噌でかんがえたわけです。
慧眼!ってやつでしょうか。じぶんに使っちゃぁアレですけど。
そう気づいてからは、なんだか鬱鬱とした気持ちがなくなった。
「打倒!あいつら」みたいなことを思うようになった。反面教師ってやつですね。
(こんなこと言いながら、このひと早期教育に嵌ってるから…毒親継承中なんじゃないの?)とのヒソヒソ声も聞こえてきそうだ。
断じてそれは無い。(と思う)
そうならないように、気をつけては、いる。
毒親あるある
ーと、いうことでして、「じぶんが毒親にならないため」も兼ねて、毒親あるあるをつぶやいてます。備忘録的役割。
「こんなのもあるよー」みたいなのも、よろしくお願いします。
おぞましくならないように明るく行きたい(生きたい)。
【毒親あるある】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月30日
じぶんの親がじつは毒親なんだと気づくのは、大人になって、けっこう時間を経てから。
(個人の感想です)
【毒親あるある②】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
母が毒親だった、と思ったら、父も毒親だった。
(個人の見解です)
【毒親あるある③】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
親が毒親と気づく前は、けっこう、親を好きだったりする。
(個人の見解です)
【毒親あるある④】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年6月1日
幼いとき風邪をひいたり、体調を崩す(便秘等)と、いたわりのことばより先に「あなたが□□□しなかったからこうなった」と“叱る”。
(個人の見解です)
以前、1度つぶやいたのですが。似ている。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年8月27日
母はわたしが体調を崩すと(便秘、風邪など)決まって、
「あなたが悪いからこうなった」と叱るような雰囲気だった。
恐怖というのはなかったと記憶していが
わたしは共感が苦手な人間に育った。
引用→“小さい頃、病気になって家の者にイヤな顔をされた恐怖” https://t.co/P3xwnuy7nZ