子にはキレずに、「仕向けことば」。
「仕向けことば」
わたしは子育てには、「仕向けことば」が必要だと思っている。
子が1歳7カ月あたりで、つぶやいている。
まだ子育ても1年と7カ月しかやっていない、ひよっこのペーペーが差し出がましいのですが、子どもに口うるさく怒らんでも□□□させる(仕向ける)ような【しむけことば】ってのがあると思う。って言うかある。(まだイヤイヤ期も経験してないど阿呆がこんなたわけたことをぬかしてすみません)
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) April 17, 2018
「各子育てシーンにおける仕向けことば一覧」はないのだが、わたしは、
①子どもの「気が進まない感じ」に【同意しながら】事を運ぶ
②その都度「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と繰り返し声をかける
③ハグ、体をさする、頭をなでる、などのスキンシップをとりながら上記声がけ
がよいのでは?と思っている。
そう思う根拠は?
専門家ではないので、「なんとなく、子育てしてて…」と言うしかない。
でも、わたしの“子育てのバイブル”
「子どもが伸びる関わりことば26―発達が気になる子へのことばかけ」湯汲 英史(著)
はここでも大いに参考になっている。
以前、メインブログでもふれたので、ご興味があれば(3回にわたり載せました)。
www.tetsu-atsu.com
できれば、キレずに育てたい
子育て中、子に対してキレてしまう、キレてしまいそうになるのは、ふつうのことだと思う。
それは認めたうえで、できればなるべくキレず、穏やかに、声がけしたい。
じぶんの幼少期の経験から、強くそう感じる。
以下、ツイートにレスをくださったフォロワーさんが、素敵な「仕向けことば」をお子さんに使っていらっしゃいます。
元ツイートとはまったく無関係の話だが。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 14, 2018
子どもが泣いたり、愚図ったりして
何かが滞ったとき、
「泣くなら/嫌なら、食べなくていい/やらなくていい!」
って言い放つのは、
実母によくやられて、とても嫌だったので
子には言わないようにしたい。
(昨夕、言いそうになった)
2018/11/14 2歳2カ月
よく、お手伝いを頼まれたときに言われたな。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 14, 2018
特段いい子でもないし面倒くさがりだったから
「えー、やだー」みたいな返答、態度を示すと
途端に「嫌ならやらなくていい!」
ってキレるんだよね、で、こっちもびっくりする。
ああいうとき、子に手伝いさせるよう
「仕向ける」ことばがある筈なのよ、
そういう意味では、
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 14, 2018
親は「先手」をとって、先回りして
手伝いなり、それこそ「勉強」なりを
したくなるよう「仕向ける」のは大事かなと思っている。
失敗も経験させる、とかは、さらにその先の話。
再掲、毒親あるある。
毒親あるある
「じぶんが毒親にならないため」も兼ねて、毒親あるあるをつぶやいてました。
再掲。備忘録的役割。こんご、また増えるかも。
これらをつぶやくことは、「自らの子育てにいかす」が目的。毒親への憎悪を無闇に増幅させそこに浸る、ということは避けたい。
【毒親あるある】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月30日
じぶんの親がじつは毒親なんだと気づくのは、大人になって、けっこう時間を経てから。
(個人の感想です)
【毒親あるある②】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
母が毒親だった、と思ったら、父も毒親だった。
(個人の見解です)
【毒親あるある③】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
親が毒親と気づく前は、けっこう、親を好きだったりする。
(個人の見解です)
【毒親あるある④】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年6月1日
幼いとき風邪をひいたり、体調を崩す(便秘等)と、いたわりのことばより先に「あなたが□□□しなかったからこうなった」と“叱る”。
(個人の見解です)
以前、1度つぶやいたのですが。似ている。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年8月27日
母はわたしが体調を崩すと(便秘、風邪など)決まって、
「あなたが悪いからこうなった」と叱るような雰囲気だった。
恐怖というのはなかったと記憶していが
わたしは共感が苦手な人間に育った。
引用→“小さい頃、病気になって家の者にイヤな顔をされた恐怖” https://t.co/P3xwnuy7nZ
「毒親」については、まず、「気づく」ことが大事。
生まれ育った環境を否定するのは、むずかしい。
生まれ育った環境が、親が、「おかしい」ということに気づくことが大事で、
そっから第2の人生的なものを歩みだすようになる。四十路にして。
#毒親 Twitterでつぶくことで
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年11月16日
記憶を整理、子育てに生かそうとしています。
子は2歳。かわいくて仕方ない。
毒親のことを思い出す隙間もないほど。
でもこわい。
実母も「あの頃が一番楽しかった」と
わたしの保育園時代を懐かしむ。
連鎖を断ち切れるか不安ですが、
気づき、糾弾して正すしかない https://t.co/DMlxvNu1Sl
子の言うことは、否定しないと決めている。
たとえ、間違ってても否定しない。
否定して正すことに、なんの意味もない。
とくに子が幼いうちは。
今でも覚えているのだが、
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 16, 2018
保育園時代、わたしがピアノを弾く真似をしていた。
実父が「ピアノ、習わせてあげたら」と口を開いた
途端、「ピアノなんて習わなくていい!」って実母。
確か食い気味に。
これ笑っちゃうくらい理不尽なキレ方なんだけど🤭
所謂 #毒親 ってこういうのをやる人。(続く
以来、わたしは
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 16, 2018
「ピアノなんて習う必要なし」と刷り込まれたし
「ピアノを習いたいと思うこと」も「封印」した。
もちろん無意識。
このことに気づいたのが、つい最近。
子が「ぺあの、ぺあの」とピアノ教室の前で
弾く真似をはじめたから。
本気で習いたい気持ちがあったわけじゃない。
でもさ(続
“子がなにかに興味を示したとき”に
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) November 16, 2018
それを頭ごなしに否定するって
親としては失格だ。断言していい。
子をもってそれがわかった。
実母の影響力が強くて
まぁその支配下にいた(価値観において)
わけだが、実母を #毒親 と認識した
エピソードのひとつ。
~おしまい~
せっかく、つぶやいたので。
記憶を整理、せっかくつぶやいたので、貧乏性のわたしなので、日記形式にして残します。
子育てにも、いかしたので。
毒親タグ(あまり気持ちのいいタグではありませんが、便宜上)も作りました。
これまでにつぶやいた「毒親」関連も、追ってまとめていきたいです。
>子どもを貶すことでコミュニケーションをとったつもりになることがある。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年11月20日
実母実父は「わたし」ではなくて「他人を貶す」ことで、コミュニケーションをとったつもりになっていたのではと最近思う。
他人を貶しているときは二人が“意思疎通”図っていると感じ、私もうれしくなってそれに乗った(続 https://t.co/8NHKlxpk26
あらためて思い出し、なんて貧相なコミュニケーションしかできない家庭で育ったのだろうと猛烈に辛い気持ちになる。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年11月20日
しなくてよい、たくさんの「何かを貶すこと」の「蓄積」をしてしまった。
「何かを貶すこと」でじぶんの存在を成立させるような愚かしい性分が育成された。
いま断ち切らないとだめだ
>毒親は自身の親子関係において、親が子を否定するのが当たり前で、それがコミュニケーションだと思い込んでいるんじゃないかな。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年11月20日
先日つぶやいたけど、実母もそうだったのかなあ。
実母も“当たり前に”否定されて育ったのかもなぁ。
知る由もないし知っても意味ないけど。https://t.co/ye0QQLkAs2 https://t.co/9fhHF6MQAu
※以前つぶやいていた【毒親あるある】はこちらにまとめてあります。
いいこと思いついちゃった。
いいこと思いついちゃった。ので、聞いてほしい。
じつはわたしの親は所謂毒親です。
「またまたぁ~。時流に乗りたいからって、話盛ってぇ~」と言われるかたもあるかもしれない。
じゃぁいい。毒親ではない、ことにしよう。
その上で、わが実家の惨状を見てほしい(さずがにここには書けないけどね)。
わが実家の情況を見たひと誰もがわたしに同情してくれる筈である、「さっきは疑って悪かった、ごめんなさいね。紛れもなく毒親ですね、あなたの親御さんは」となると思う。
ちなみに、「じぶんの親が毒親だ」と確信したのは、恥ずかしながら、つい最近である。子をもってからかもしれない。
「虐待を受けたひとは、そのひともまた虐待を繰り返す」みたな所謂「負の連鎖」というおぞましいことばがある。
わたしは身体的虐待を受けたことはない(と思う)。ご飯もお腹いっぱい食べさせてもらえたし、あたまがわるいのに、短大まで学費を出してもらった、親には。だから感謝もしている。が、これはまた別の話である。
だから、「じぶんの親が毒親だ」と遅まきながら気づいたとき、『負の連鎖』というのが頭をよぎった。おぞましい。
すごく厭な気持ちがした。完全無垢の赤ん坊が産まれ、きらきらときらめく日常に暗雲立ち込める感じ、である。クソが。
立派な親御さん、子ども(孫)思いの親御さん、きちんとした(さまざまな面で)親御さんをお持ちのかた。クッソ羨ましい。
しかし、鬱鬱としていてもはじまらぬ。わたしもひとの親、である。
そして、
いいこと思いついちゃった。
あるとき、「ふっ」とおもったのである。
「もしかして。じぶんは、あのひとらがやったことと、真逆のことを子にしてあげればいいんじゃね?」と。
「そうしたら、毒親にならずにすむのじゃないか?」などと無い脳味噌でかんがえたわけです。
慧眼!ってやつでしょうか。じぶんに使っちゃぁアレですけど。
そう気づいてからは、なんだか鬱鬱とした気持ちがなくなった。
「打倒!あいつら」みたいなことを思うようになった。反面教師ってやつですね。
(こんなこと言いながら、このひと早期教育に嵌ってるから…毒親継承中なんじゃないの?)とのヒソヒソ声も聞こえてきそうだ。
断じてそれは無い。(と思う)
そうならないように、気をつけては、いる。
毒親あるある
ーと、いうことでして、「じぶんが毒親にならないため」も兼ねて、毒親あるあるをつぶやいてます。備忘録的役割。
「こんなのもあるよー」みたいなのも、よろしくお願いします。
おぞましくならないように明るく行きたい(生きたい)。
【毒親あるある】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月30日
じぶんの親がじつは毒親なんだと気づくのは、大人になって、けっこう時間を経てから。
(個人の感想です)
【毒親あるある②】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
母が毒親だった、と思ったら、父も毒親だった。
(個人の見解です)
【毒親あるある③】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年5月31日
親が毒親と気づく前は、けっこう、親を好きだったりする。
(個人の見解です)
【毒親あるある④】
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年6月1日
幼いとき風邪をひいたり、体調を崩す(便秘等)と、いたわりのことばより先に「あなたが□□□しなかったからこうなった」と“叱る”。
(個人の見解です)
以前、1度つぶやいたのですが。似ている。
— 🤯鉄は、熱いうちに打て。🚀 (@tetsu_atsu_) 2018年8月27日
母はわたしが体調を崩すと(便秘、風邪など)決まって、
「あなたが悪いからこうなった」と叱るような雰囲気だった。
恐怖というのはなかったと記憶していが
わたしは共感が苦手な人間に育った。
引用→“小さい頃、病気になって家の者にイヤな顔をされた恐怖” https://t.co/P3xwnuy7nZ
赤ん坊は赤ん坊が好き。
赤ん坊は赤ん坊が好き、だと思う。
1歳4カ月から早期英語教育をはじめた。
教材はDWEが中心なのだが、さすがに赤ん坊でも「飽きる」ようで(こちらも、飽きることもある)適宜YouTubeなんかで、子ども向け英語番組を見せている。
イチオシはBlippi - Educational Videos for Kidsであるが、これは子もわたしも好きすぎる故に、その果てしない魅力についてはまた別の機会に書きたい。
赤ん坊は赤ん坊が好き
確信したのは、この動画を見せたときだ。
www.youtube.com
Blippi - Educational Videos for Kidsを見るときも、もちろん、画面を食い入るようにし、目を輝かせている。大好きな乗り物がたくさん出てくるから。
しかし、こちらのSuper Crazy Kidsでは、1歳8カ月児にあって「ぎゃははははははは!」と、ほんとうにこの、今わたしが表記したまんまの声を立てて笑ったりする場面がある。
ここはいっしょに笑ってあげるべきだと思って「わはははははは!」とわたしも笑ってみせるが、正直、どこがそんなに面白いのかは謎なのだ。
然るに、この動画が、子の心をそこまで鷲づかみにする理由を考えてみた。
- 登場人物がじぶんと同じオムツの赤ん坊である=親近感
- その赤ん坊が喃語以前の声を発し続けている=親近感
- じぶんと似た赤ん坊が、じぶんにできること/できそうなこと/できそうにない激しい動き、各種している=親近感と憧れ
特に子のお気に入りの場面は「赤ん坊が頭突きで物を倒す」ところだ。頭突きが受けている。
赤ん坊はひとの動きをよく見ている。
自分のからだの動かし方をみずから「獲得」しているのだと思う。大人の動きも「勉強」になるのだろうが、それ以上に「習得」の近道となるのは、じぶんと同世代の赤ん坊の動きなんだろう。
きのう、保育園のお迎えの時間に、同じクラスのM君がじぶんで靴を履く(しかも立ちながら!)のを見て、数分後、ウチの子もそれを真似て靴を履いた。
人生ではじめて、「一人で靴を履いた」。
赤ん坊には赤ん坊をあてがっておくといいな、と思った。互いに学びあっている。
保育園に預けている罪悪感みたいなものが、ちょっとうすれた。