鉄熱日常雑記帖

かしこまって書かないブログ。

子にはキレずに、「仕向けことば」。

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「仕向けことば」

わたしは子育てには、「仕向けことば」が必要だと思っている。
子が1歳7カ月あたりで、つぶやいている。

「各子育てシーンにおける仕向けことば一覧」はないのだが、わたしは、
①子どもの「気が進まない感じ」に【同意しながら】事を運ぶ
②その都度「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と繰り返し声をかける
③ハグ、体をさする、頭をなでる、などのスキンシップをとりながら上記声がけ
がよいのでは?と思っている。

そう思う根拠は?

専門家ではないので、「なんとなく、子育てしてて…」と言うしかない。
でも、わたしの“子育てのバイブル”
「子どもが伸びる関わりことば26―発達が気になる子へのことばかけ」湯汲 英史(著)
はここでも大いに参考になっている。
以前、メインブログでもふれたので、ご興味があれば(3回にわたり載せました)。
www.tetsu-atsu.com

できれば、キレずに育てたい

子育て中、子に対してキレてしまう、キレてしまいそうになるのは、ふつうのことだと思う。
それは認めたうえで、できればなるべくキレず、穏やかに、声がけしたい。
じぶんの幼少期の経験から、強くそう感じる。
以下、ツイートにレスをくださったフォロワーさんが、素敵な「仕向けことば」をお子さんに使っていらっしゃいます。

再掲、毒親あるある。

毒親あるある

「じぶんが毒親にならないため」も兼ねて、毒親あるあるをつぶやいてました。
再掲。備忘録的役割。こんご、また増えるかも。

これらをつぶやくことは、「自らの子育てにいかす」が目的。毒親への憎悪を無闇に増幅させそこに浸る、ということは避けたい。

「毒親」については、まず、「気づく」ことが大事。

生まれ育った環境を否定するのは、むずかしい。
生まれ育った環境が、親が、「おかしい」ということに気づくことが大事で、
そっから第2の人生的なものを歩みだすようになる。四十路にして。

子の言うことは、否定しないと決めている。

たとえ、間違ってても否定しない。
否定して正すことに、なんの意味もない。
とくに子が幼いうちは。



せっかく、つぶやいたので。

記憶を整理、せっかくつぶやいたので、貧乏性のわたしなので、日記形式にして残します。
子育てにも、いかしたので。
毒親タグ(あまり気持ちのいいタグではありませんが、便宜上)も作りました。
これまでにつぶやいた「毒親」関連も、追ってまとめていきたいです。

※以前つぶやいていた【毒親あるある】はこちらにまとめてあります。

いいこと思いついちゃった。

いいこと思いついちゃった。ので、聞いてほしい。

じつはわたしの親は所謂毒親です。
「またまたぁ~。時流に乗りたいからって、話盛ってぇ~」と言われるかたもあるかもしれない。
じゃぁいい。毒親ではない、ことにしよう。
その上で、わが実家の惨状を見てほしい(さずがにここには書けないけどね)。
わが実家の情況を見たひと誰もがわたしに同情してくれる筈である、「さっきは疑って悪かった、ごめんなさいね。紛れもなく毒親ですね、あなたの親御さんは」となると思う。

ちなみに、「じぶんの親が毒親だ」と確信したのは、恥ずかしながら、つい最近である。子をもってからかもしれない。
「虐待を受けたひとは、そのひともまた虐待を繰り返す」みたな所謂「負の連鎖」というおぞましいことばがある。
わたしは身体的虐待を受けたことはない(と思う)。ご飯もお腹いっぱい食べさせてもらえたし、あたまがわるいのに、短大まで学費を出してもらった、親には。だから感謝もしている。が、これはまた別の話である。

だから、「じぶんの親が毒親だ」と遅まきながら気づいたとき、『負の連鎖』というのが頭をよぎった。おぞましい。
すごく厭な気持ちがした。完全無垢の赤ん坊が産まれ、きらきらときらめく日常に暗雲立ち込める感じ、である。クソが。
立派な親御さん、子ども(孫)思いの親御さん、きちんとした(さまざまな面で)親御さんをお持ちのかた。クッソ羨ましい。
しかし、鬱鬱としていてもはじまらぬ。わたしもひとの親、である。
そして、

いいこと思いついちゃった。

あるとき、「ふっ」とおもったのである。
「もしかして。じぶんは、あのひとらがやったことと、真逆のことを子にしてあげればいいんじゃね?」と。
「そうしたら、毒親にならずにすむのじゃないか?」などと無い脳味噌でかんがえたわけです。
慧眼!ってやつでしょうか。じぶんに使っちゃぁアレですけど。

そう気づいてからは、なんだか鬱鬱とした気持ちがなくなった。
「打倒!あいつら」みたいなことを思うようになった。反面教師ってやつですね。
(こんなこと言いながら、このひと早期教育に嵌ってるから…毒親継承中なんじゃないの?)とのヒソヒソ声も聞こえてきそうだ。

断じてそれは無い。(と思う)
そうならないように、気をつけては、いる。

毒親あるある

ーと、いうことでして、「じぶんが毒親にならないため」も兼ねて、毒親あるあるをつぶやいてます。備忘録的役割。
「こんなのもあるよー」みたいなのも、よろしくお願いします。
おぞましくならないように明るく行きたい(生きたい)。

赤ん坊は赤ん坊が好き。

赤ん坊は赤ん坊が好き、だと思う。
1歳4カ月から早期英語教育をはじめた
教材はDWEが中心なのだが、さすがに赤ん坊でも「飽きる」ようで(こちらも、飽きることもある)適宜YouTubeなんかで、子ども向け英語番組を見せている。

イチオシはBlippi - Educational Videos for Kidsであるが、これは子もわたしも好きすぎる故に、その果てしない魅力についてはまた別の機会に書きたい。

赤ん坊は赤ん坊が好き

確信したのは、この動画を見せたときだ。
www.youtube.com

Blippi - Educational Videos for Kidsを見るときも、もちろん、画面を食い入るようにし、目を輝かせている。大好きな乗り物がたくさん出てくるから。
しかし、こちらのSuper Crazy Kidsでは、1歳8カ月児にあって「ぎゃははははははは!」と、ほんとうにこの、今わたしが表記したまんまの声を立てて笑ったりする場面がある。

ここはいっしょに笑ってあげるべきだと思って「わはははははは!」とわたしも笑ってみせるが、正直、どこがそんなに面白いのかは謎なのだ。

然るに、この動画が、子の心をそこまで鷲づかみにする理由を考えてみた。

  • 登場人物がじぶんと同じオムツの赤ん坊である=親近感
  • じぶんと似た赤ん坊が、じぶんにできること/できそうなこと/できそうにない激しい動き、各種している=親近感と憧れ

特に子のお気に入りの場面は「赤ん坊が頭突きで物を倒す」ところだ。頭突きが受けている。

赤ん坊はひとの動きをよく見ている。
自分のからだの動かし方をみずから「獲得」しているのだと思う。大人の動きも「勉強」になるのだろうが、それ以上に「習得」の近道となるのは、じぶんと同世代の赤ん坊の動きなんだろう。

きのう、保育園のお迎えの時間に、同じクラスのM君がじぶんで靴を履く(しかも立ちながら!)のを見て、数分後、ウチの子もそれを真似て靴を履いた。
人生ではじめて、「一人で靴を履いた」。

赤ん坊には赤ん坊をあてがっておくといいな、と思った。互いに学びあっている。
保育園に預けている罪悪感みたいなものが、ちょっとうすれた。