鉄熱日常雑記帖

かしこまって書かないブログ。

謙遜ができない。

謙遜ができない。
じぶんのことではなく、殊、子にかんして、である。

世のお母さんたちはすごい、と思う。
「うちの子は○○できないんですよ~(○○が食べられないんですよ~)」みたいな軽き謙遜いりのことばを会話の糸口に、挙動不審なわたしみたいな者にでも、さやわかにいやらしくなく素敵な笑顔も浮かべながら話しかけてきてくれるのである。保育園のお迎えの時間などに。

ところが。こちらはどうだ。
謙遜ができない。
というか、謙遜すべきところがない。
堂堂の正真正銘、可愛らしいつぶらな瞳を持ち、賢く、機転も利き、理解力も高く、野菜も好き嫌いを言わずもりもり食べ、すでに母語以外の単語もいくらか嗜み、それらを時よりまるで母語同然に口にし、朝は早くに起きBreadを食し、夕は母とともに様様な探検をし体力増強に勤しみながらも、公園のアナログ時計に目を遣るなどして知力をも高めることにも余念のない、この1歳8カ月児の奮闘を、母は謙遜できない。

威張って、胸を張って、言いたい。
利発かつ聡明、生来の性格も穏やかでやさしく、すでに動植物までも愛でることのできる鉄熱家期待の星です、と。

でもそれをやっちゃあヤバイひと。
なんとか、世の優秀なお母さんがたを見習って、謙遜を織り交ぜた、いやらしさのない会話をできるように、日々精進している。

謙遜とは、「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと」とのことだ。ネットからコピペ。
そういった立ち振る舞いは円滑に人間関係をすすめていく上でとってもとっても大事だとは思う。

ほんでも、じぶんの産んだ子のことを語るときくらいは、そういうのは取っ払ってしまいたい。
じぶんがこの子を誉めないでだれが誉めるのですか。謙遜なんていらない。

昭和の時代の子育てはね。

以前、メインのブログで、ちかぢか買おうかな、「だるまさんシリーズ」なーんて言っておきながら、じつは、まだ、子に買ってあげていない。
絵本を買っていないわけではなくて、ほかの自分好みの絵本は順調に増えてはいる。
「反省文」は書いたけど、反省していないパターンです。
(ちなみに件の絵本は、保育園のお帰りの時間に園の本を読んであげることもできるので「これでまかなっちゃおう」みたいな思惑もある)

じつは。もう一つ理由がある。
便利なものを見つけたから。これです。(有名な動画ですね)

読み聞かせ 【だるまさんが・だるまさんの・だるまさんと】 絵本朗読 [ だるまさんシリーズ ] 全作☆ 赤ちゃんが泣き止む・笑う

あんまり期待せず何気なく子と見てみたのだが(じつは、絵本の読み聞かせをYouTubeに頼るなんて言語道断っ!(英語絵本はこの限りではない)とか思う面倒なタイプです、わたし)、これがよかった。
・読んでいる女性の声がやさしい
・映像を見ながら「だるまさん」の動きをダイナミックにマネできる(楽しい)
・絵本のときより子がよろこぶ(わたしもうれしい)

「これでまかなっちゃおう」。
また思ってしまった。

子を育てるなかで、絵本の読み聞かせは、最重要必須ミッションだと思う、し、もう全人類そう言っています。
わたしもこんな目標を掲げちゃったりしています。

でも世の中の変化って目まぐるしいじゃないですか?
いつしか「むかしはね~、あ、むかしって平成、その前にまた昭和っていう時代があってね(笑)。その頃はね、わざわざ紙に印刷された絵本を用意して、お母さんが子どもに読んであげてたんだってよ~。なんかすごいよねぇ(笑)」みたなことになるのかな?と、ふと、思いました、ネット動画で絵本読み聞かせを体験して。という、まったくとるにたらぬ話です。

きょうも、お迎えの時間、たくさん絵本を読むぞ。目標10冊。
(平均は4冊ほどです)

※追記 わたしは昭和50年代前半の生まれです

パンドラの匣。


わたしが「早期教育」に嵌っているのも、
掘り下げちゃうとこのあたりが因かなぁ、と薄薄思い出していた。最近。
わたし自身は四流私立短大出のすっとこどっこいなのだが、
不思議と学歴コンプレックスというのがない。

なぜか。
大学受験のはるか以前の話になるが、
圧倒的な教育環境格差というのを身をもって(幼いながらに)
感じてしまったことがその理由のひとつかもしれないなんて思う。

通っていたのは公立小学校だった。
が、教育熱心な親御さんが多い、というか圧倒的多数だった。
翻って、ウチは。教育に対する関心は高くない家庭(教育に金を使わない主義)だった。
当時の周囲の環境と相対的に見ると劇的に意識の低い家庭だった、と思われる。
小学校時代のいろんなエピソードを散りばめたいところだが、
厄介なことになったらそれこそ厄介なので、割愛。

子どもは親のものさしの中でしか生活できないと書いたことがあるけど、
まさにこのことが例としては適切で、
ウチはピアノは習えない、ウチは塾に通わない、ウチは中学受験はしない等等の
「ものさし」のなかで暮らし、そのことには特段不平不満とか感じるわけでもなく、
むしろ「みんな子どもなのに朝から晩まで勉強漬けでたいへんなことだな」と
暢気にしていたことも事実、ではある。

でも、もしかしたら。
でももしかしたら、わたしも幼馴染の○○ちゃんのように□□□したかったのかもしれない。
当時は、「塾に通いたい」「中学受験をしたい」とは思わなかった。
思わなかった、のだろうか。
ほんとうに、思わなかった、だろうか。
もしかしたら。
ウチではそれらの選択肢がないのだから、
『思わない』ようにじぶんの気持ちを押し殺していたのではないだろうか。

―― なんていう恐ろしいことに、おとつい気づいた。パンドラの匣。
学歴コンプはないが、幼い頃に感じた(押し殺したかもしれない)気持ちは、
明らかに別の種類のコンプレックスへと醸成されちゃったんじゃなかろうかと思う。

大なり小なり自分の育てられ方に不満があるらしく、子ども時代に満たされなかった部分を大人になって埋めようともがいてる。

すごく的確な指摘だと思います。

子の(わが家の)「早期教育」はとっても、とっても楽しい。
だからこれからも鋭意続けていく。
続けていくなかで、じぶんが、
「子ども時代に満たされなかった部分を大人になって埋めようともがいてる」ことを
自覚しておくことは大事だよな、という話でした。

ちなみに「パンドラの箱」には希望も入っていたらしい。
子と楽しみながら早期教育できていれば、そのことは希望になるのかな。
なっていたら、救い。
コンプレックスを「よい方向に使う」ことができれば、救い。

ごしょうだいじに。

ちょっとダサいのかなー、と思いながら続けていることが、これ。


上記のじぶんの「つぶやき」を、「固定されたツイート」というものに設定をし、ずっとずっと四六時中、じぶんのTwitterのトップに掲げている行為です。
これは特定の書籍名ならびに作者名、出版社名までご丁寧に書き添えてしまったことが因果で、当該出版社のかたの目にも触れたらしく、身に余る「いいね」を戴いたことから、それをご覧になられたであろう本当にたくさんの(12人のかた!)Twitterユーザーさんから賛同を得ることができた、わたしのTwitter史上始まって以来の快挙でした。

で。これはなにを言いたいかというと、子どものもつ未知の力って、って当たり前ですけど、やっぱり「白紙」の状態なんだな、その「白紙」を如何様に使うかは傍らにいる養育者次第なんだな、それってなんだかとってもすごいよね、ということと、やっぱり、早期(この場合は英語、ですが)教育っておもしろいということです。

ちなみに、わたし自身が気に入っているのは(そんなこと知りたくないよ、と思われるかもしれませんが)、
これです。(だから何よ?って感じですが)

わたし自身は、こういう「かっこいい」ところを持ち合わせないので、列車(電車)には、ひどく憧れているところがあります。

子が電車好きになってくれて、うれしかったりするんですがは、その理由はこれです。

チャコとmoonのはなし。

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子が命名したチャコ(ハスキー犬)とmoon(ヘラジカ。トナカイじゃない)
マクドナルドの「ハッピーセット」というものを、子どもに与える親ってどうなの?と思っていた。子どもにファストフード。よりによってそれを玩具で扇動するとは。ぶっちゃけ白眼視していた。

じぶんはマック大好き人間であるにもかかわらず、である。
どれくらい好きかというと、平日昼時、何らかのバーガーにポテト、ドリンク(コーラと決めている)双方Lで注文し悦に入る。休日の外出時、平然とマックに立ち寄ろうとして夫に「きょうはやめときなよ(子の手前・子は食べられないのだから、の意)」と窘められることがしばしばある、ほどである。(書いていて思ったけど、大好き人間を標榜するにはまだ根拠が弱いですね、精進します)

だから、子を連れてマックの前を通りかかったとき、「ハッピーセット」にミニカーがつくということに気づいたわたしは、すぐにその場で宗旨替えをした。「子にミニカーを与えよう、そのためにはハッピーセットが必要です」と。つまり、マックの購入理由を子の「かぁちゃん、ミニカーほしいよぉ」に擦りつけた。ちなみに、子はまだ「ミニカーほしいよぉ」などとは言えない。1歳8カ月。
「ミニカーあげたら喜ぶかな?」とわたしが思っただけ。その裏にはもちろん「マックを買わねばならぬ口実が生まれた」。夫に咎められることなくマックを思う存分に頬張ることのできる悦び。

じっさいに購入してみて、わたしは驚いた。
ミニカー(トヨタ2000GT)は想像していたよりは、「おまけ感」が強かったものの、ボンネット部分が開閉できエンジンが露になる作り。けっこう凝っているんですねぇ。
それより、パーツにシールが貼れるんですね!あれってすっごく細かくないですか!?
これは子の早期教育に鼻息を荒くし、日々「巧緻性」を高めるためにはどうしたらいいのどうしたらいいのと悩んでいたわたしにとっては、ときめきの邂逅でした。というのは大袈裟ですけれど、このへんで「ハッピーセット、意外に買ってみてもいいかもな」などと思わされました。
幸いにも、その後ミニカーが増え続けるということありませんでした。わたしも節制したのです。

そして2018年5月22日現在の「ハッピーセット」は大きなお目目が特徴的な「かわいいどうぶつのぬいぐるみ」。
「へぇ、今回はこれかぁ」と思ってマックを過ぎ帰宅すると、なんとお向かいさん(わが子を孫のように可愛がってくれる)から、件のハスキー犬とムース(トナカイかと思ったらヘラジカですって)のぬいぐるみが。わが家に仲間入り。
子が存外によろこんだ→わたしもうれしい→「ハッピーセット、意外にいいものなのかもな」と再び思わされました。という話です。

ちなみに、ハスキー犬には「チャコ」、ムースには「moon」と、ウチの子が命名しました。
「チャコ」はもしかすると「circle」だったのを、わたしが聞き違えたのかもしれない。「moon」は子の大好きなもののひとつ。月が好きなんですわ、電車と並んで。
親の「名前つけてあげたら?」というリクエストに即座に答えたふたつの名前。おぼえたての単語などを採りいれる。1歳8カ月の赤ん坊にしては、センスある。親馬鹿。

品性に欠ける。

夫が50万、わたしが40万支払うことで決着した超高額な教材費用
メインブログでは、ちょっと品性に欠ける行ないかなーと思って貼るのを避けていたのですが。
前記事で、ウチでは「超高額英語教材を使ったり」などと書きました。その教材の請求明細書です。
「その教材」などともったいぶった言い回ししていますが、アクセス数欲しさに言うとぶっちゃけディズニーの英語システムというやつです。略して「DWE」などと呼びます。Disney World of English の略です。
ディズニーの英語システム(DWE)は高額なことで知られていますが、公式ホームページでは価格の掲示、表示が不案内だと感じます。購入プランがさまざまあるので、一覧などあったら重宝するのに。
しかし、そこが壷なのでしょう。
実際にはわくわく英語体験なる教材無料体験で、アドバイザーさん(わかりやすく言うと営業のかた)から各セット内容を聞き、購入プランを思案し、支払い方法も検討することになります。(ウチはフルセット購入、一括支払いは決めていたので、そういう話はあまり聞かなかった)
もちろん、ホームページにも価格掲示して“は”ありますが、「価格 月々2,400円から」というような表現が多いです。なお、そういった支払い方を選択すると結果的にはより多くのお札が手元から去っていく。利子がつくわけですから当たり前です。
ですから、ウチでは添付請求明細のように堂々の一括支払い(デデデン!)にしました。
ちなみに、購入したのは所謂「フルセット」と呼ばれる代物です。購入までの顛末は、メインブログに書きました。
購入を検討しているときは、DWEユーザーさんのブログを活用させていただきました。なかには、ご自身で「価格表」を作って公開している奇特なかたもいます(感謝)。購入検討されているかたは探してみてください。
「ディズニーの英語システム、フルセット一括購入って、いったいどんぐらいかかるのよ?」と疑問に思っているかたに届くといいなと思い、いやらしいかしらんとは思ったのですが請求明細を貼ってみました。(ちなみに、2018年1月時点の購入契約です)

請求額を見て「あれ?なんかチョット高くない?」と不思議に思い夫に訊くと、「送料が含まれている」とのことでした。

二語文を話した朝に。

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「Circle、あった」
1歳8カ月の赤ん坊を育てている。

いま「赤ん坊」と書いたが、
「この子はほんとうに赤ん坊なのだろうか?」と不思議に思うことがある。
大人と兼用のマルちゃん焼きそば(粉末ソースを投入する前のもの)を頬張り、
じぶんの好みの食べ物は即座に食べおかわりを要求し、ウンコは硬く茶色くなり、
お気に入りのものを身につけた後、親からの「鏡見てきてご覧」に素直に反応し、
鏡のほうにすたすた駆けていくこの子は。

きのうの朝、赤ん坊が発すると親が喜ぶことで知られる二語文というものをついに話した。
驚くなかれ、そのことばは、ドット柄マグカップを指差して「Circle、あった」。
日英混合二語文である。

それもそのはず。
わが家では教育的「負の連鎖」を断ち切るため、
1歳4カ月から早期英語教育をはじめたから。当たり前と言えば当たり前。
いくつか英単語はおぼえ、さいきんでは寝言に「tunnel…」が登場した。
超高額英語教材を使ったり、近所の英語教室に通っている。
大枚をはたいているが、その影響というのはこれはほんとうに
プライスレス。としか言いようがない。

「ことばは教えられるものではなく、子どもが自ら獲得するもの」らしい。
早期英語教育を考え、結局手を出した。手を出してから、このことを学んだ。
赤ん坊は、目に映るものすべてに名前をつけていく作業を
いっしょうけんめいやっている。しかもすごい勢いで。

日本語と英語、ごちゃ混ぜでおぼえたってよかろう。
そのように、わが家では決めた。
犬を「いぬ」「わんわん」と認識するのと同じように、"dog"も一緒におぼえちゃお!
そんな具合である。(なお、これはどなたかのブログ記事の受け売りです)

赤ん坊がことばを自ら獲得していくようすを見ることは、貴重な体験だ。
よろこびに満ちた瞬間の連続だと思う。子育ての醍醐味。
おぼつかない日本語で話す姿を見るだけでも、どんぶり飯三杯はイケる、だろう。
そこに、母語以外の獲得が加わると…

よろこびはさらに広がる。早期英語教育はおすすめだ。